世界のレジームチェンジに鈍感な日本人の愚かさ

對世界的體制變化遲鈍——日本人的愚蠢


2022年12月初め、中國がサウジアラビアのリヤドに降り立った。その歓迎ぶりが、數(shù)カ月前に降り立ったアメリカ大統(tǒng)領(lǐng)のバイデンに比べ格段上のものであったことに、世界中は驚いたはずだ。それは、何もサウジアラビアが中國にとりわけご執(zhí)心だという意味からではない。
最近、アルゼンチンが優(yōu)勝したサッカーのワールドカップ?カタール大會も、サッカー場の外での経済的勝利者は中國だったといえる。中國の存在の重さは、何もアラブ諸國だけに限ったことではない。
2022年11月に行われたASEAN(東南アジア諸國連合)、G7(主要先進國首脳會議)、APEC(アジア太平洋経済協(xié)力)の國際會議でも主役は中國であり、どの國も中國との會談を望んでいた。アジアの時代というが、その存在の中心が中國であることは間違いない。実際、経済において中國やアジアがどれほどの力をもっているのかを、簡単な統(tǒng)計で見てみるとわかりやすい。

2022年12月初,中國訪問沙特阿拉伯。這種歡迎的態(tài)度,與幾個月前美國總統(tǒng)拜登相比,是相當(dāng)高的,全世界應(yīng)該都很吃驚。這并不意味著沙特阿拉伯對中國特別執(zhí)著。
最近阿根廷獲得冠軍的卡塔爾世界杯,在足球場外的經(jīng)濟勝利者也可以說是中國。中國存在的分量,并不僅僅限于阿拉伯國家。
在2022年11月舉行的東盟(ASEAN)、G7(主要發(fā)達國家首腦會議)和APEC(亞太經(jīng)濟合作)國際會議上,主角都是中國,每個國家都希望與中國舉行會談。雖說是亞洲的時代,但其存在的中心無疑是中國。實際上,從簡單的統(tǒng)計來看,中國和亞洲在經(jīng)濟上有多大的力量是很容易理解的。

■グローバル化で途上國経済が成長
2019年のGDP(國內(nèi)総生産)でみた、トップ10に位置付けられる國を挙げてみよう。物価水準(zhǔn)を考慮しない名目価値で計算した場合、上位10カ國のうち先進國ではない國は中國とインド、ブラジルの3カ國しかない。だが、物価水準(zhǔn)を考慮した購買力で計算した場合、この3カ國にロシアとインドネシアが入り、先進國の數(shù)と並んでいることに気づく。
同じように、世界経済に占める割合を先進國と発展途上國という形で分けた場合、名目価値で計算した場合、G7は全世界のGDP80兆ドルの半分を占める40兆ドルを占めているが(2021年には43%)、購買力で計算するとその割合はすでに30%にすぎないことがわかる。一方、アジアの発展途上國ではすでに35%を占めているのである。しかもその成長率は、G7の1.9%に対し6.4%にもなる。

■全球化使發(fā)展中國家經(jīng)濟增長
在2019年的GDP(國內(nèi)生產(chǎn)總值)中,我們列舉了排名前10位的國家。如果以不考慮物價水平的名義價值計算,前10名中不是發(fā)達國家的國家只有中國、印度、巴西3個。但是,如果以考慮物價水平的購買力計算的話,就會發(fā)現(xiàn)還有俄羅斯和印度尼西亞,與發(fā)達國家的數(shù)量并列。
同樣,如果以發(fā)達國家和發(fā)展中國家的形式將其在世界經(jīng)濟中所占的比例分開,以名義價值計算,G7占全球GDP 80萬億美元的一半 40萬億美元(2021年為43%),但以購買力計算,其比例已經(jīng)只占30%。另一方面,亞洲的發(fā)展中國家已經(jīng)占了35%。而且,增長率相對比G7的1.9%,也達到了6.4%。

各國のGDP全體に占める産業(yè)生産の割合でみると、もっと興味深い傾向が出てくる。先進國とインドネシア、中國、ロシアと比較してみよう。アメリカはGDPの18%、イギリスは20%、日本は29%、ドイツは30%、フランスは19%。一方、中國は39%、インドネシア40%、ロシアは38%を産業(yè)生産が占めている。
これは、先進國では産業(yè)生産よりもサービス産業(yè)にシフトしていることを意味する。確かに経済が発展すれば、次第に産業(yè)生産からサービス生産にシフトしていくことは當(dāng)然だ。しかし、一方では先進國が工業(yè)生産物を発展途上國に頼っているということでもあり、両者の間にサプライチェーンのような世界分業(yè)が成立していることを意味する。いわば、先進國は発展途上國にモノを作らせて、その代わりにサービスで支払っているということなのだ。

從產(chǎn)業(yè)生產(chǎn)占各國GDP總量的比例來看,會出現(xiàn)更有趣的趨勢。比較一下發(fā)達國家和印度尼西亞、中國、俄羅斯。美國占GDP的18%,英國20%,日本29%,德國30%,法國19%。另一方面,中國的產(chǎn)業(yè)生產(chǎn)占39%、印度尼西亞40%、俄羅斯38%。
這意味著在發(fā)達國家,比起產(chǎn)業(yè)生產(chǎn),更傾向于服務(wù)產(chǎn)業(yè)。確實,隨著經(jīng)濟的發(fā)展,逐漸從產(chǎn)業(yè)生產(chǎn)轉(zhuǎn)向服務(wù)生產(chǎn)是理所當(dāng)然的。但另一方面也是發(fā)達國家將工業(yè)產(chǎn)品依賴于發(fā)展中國家,這意味著兩者之間成立了類似供應(yīng)鏈之類的全球分工。也就是說,發(fā)達國家讓發(fā)展中國家制造東西,取而代之的是用服務(wù)支付。

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このような狀況を30年前と比較すると、大きな変化があったことが理解できる。アメリカ以外の先進國のGDPはあまり増大していないが、中國はこの30年で大きく成長している。1991年にトップ10に入っている発展途上國は、中國とブラジルだけである。購買力でみればインドとメキシコも入っているが、いずれもその順位は下位だった。
したがって、1991年の世界のGDPの占有率はG7だけで70%となっていた。購買力でみるとそれよりやや少ないが、當(dāng)時はG7が世界経済を牛耳っていたことは間違いない。
この30年間で発展途上國が経済成長を果たしたことは、ある意味グローバル化によってもたらされたものであった。グローバル化したことで工場の移転が進み、その技術(shù)がこれらの國に普及していったことで経済成長が促進されたわけだ。先進國経済にとっては低賃金を求めたがゆえの移転だったのだが、それが結(jié)果として移転した國の経済発展を促進したということは皮肉でもある。

將這種情況與30年前相比,可以說發(fā)生了很大的變化。美國以外發(fā)達國家的GDP并沒有太大的增長,而中國在這30年里已經(jīng)有了很大的增長。1991年進入前十名的發(fā)展中國家只有中國和巴西。從購買力來看,印度和墨西哥也在其中,但其排名均處于下位。
因此,1991年全球GDP的占有率僅G7就達到70%。從購買力來看比這個稍微少一些,但當(dāng)時G7確實控制著世界經(jīng)濟。
在過去30年中,發(fā)展中國家實現(xiàn)了經(jīng)濟增長,從某種意義上說是全球化帶來的。由于全球化,工廠的遷移不斷推進,其技術(shù)在這些國家普及,促進了經(jīng)濟增長。對于發(fā)達國家經(jīng)濟來說,這是因為要求低工資而進行的轉(zhuǎn)移,但其結(jié)果卻促進了轉(zhuǎn)移國家的經(jīng)濟發(fā)展,這也是一種諷刺。

■「アフリカは西歐から離れつつある」
フランスにドミニク?ド?ヴィルパンという、シラク政権時代の首相だった人物がいる。彼が2003年のイラク戦爭の直前、ニューヨークの國連本部でブッシュ政権の國務(wù)長官だったパウエルとイラクの大量破壊兵器の問題で議論し合い、一躍時の人となったことは有名だ。彼はイラク戦爭において、一貫してアメリカと行動をともにすることを拒否した。その彼が最近、中國やアジアの躍進について興味深いことをインタビューで語っていた。
現(xiàn)在、西歐が陥っているエネルギー危機と世界における地位の低下について、彼は見識ある回答を與えていた。それは、西歐社會は世界がレジームチェンジしていること、もはやこれまでのような西歐のみによる支配ではなくなっていることを認(rèn)識すべきだ。そして、フランスに近いアフリカが西歐から離れていっていることや中東、インド、中國、ロシア、トルコなどが連攜を深めつつあることをフランス政府はもっと認(rèn)識すべきだ、というものだった。

■“非洲正在遠離西歐”
法國有一位名叫多米尼克·德·維爾潘的希拉克政權(quán)時期的首相。他在2003年伊拉克戰(zhàn)爭之前,在紐約聯(lián)合國總部與布什政府的國務(wù)卿鮑威爾就伊拉克的大規(guī)模殺傷性武器問題進行了討論,并一躍成為當(dāng)時的人,這一點很有名。他在伊拉克戰(zhàn)爭中一貫拒絕與美國共同行動。他最近在采訪中談到了關(guān)于中國和亞洲躍進的有趣的事情。
對于目前西歐陷入的能源危機和在世界上地位的下降,他給出了一個有見識的回答。應(yīng)該認(rèn)識到,西歐社會已經(jīng)認(rèn)識到,世界的體制改變了,不再是像以前那樣只由西歐支配。而且,法國政府應(yīng)該更加認(rèn)識到,親近法國的非洲正在遠離西歐,中東、印度、中國、俄羅斯、土耳其等正在加深合作。

これは真っ當(dāng)な指摘だ。最近、EU議會でポーランド代表が「EU議會のエリートは、それぞれの國民の生活の現(xiàn)狀を理解していない」と述べていたが、これもド?ヴィルパン氏の発言と同じ脈絡(luò)だろう。西歐諸國の大統(tǒng)領(lǐng)や首相に選ばれた者、そして多くの官僚も、いまだに自らを世界の指導(dǎo)者であると自負し、経済、政治あらゆる意味で優(yōu)位にあるという認(rèn)識に陥ったままである。まったくの過信だ。
しかし、そんな西歐でも自らの沒落を意識する人々が少しずつ増えている。翻って日本ではどうだろうか。アジアでいち早く近代化を進めてアジアの雄となった日本は、今生じつつあるアジアやアフリカの変化を十分認(rèn)識していないのではないか。

這是一針見血的指摘。最近,在歐盟議會上,波蘭代表說:“歐盟議會的精英們不了解各自國民的生活現(xiàn)狀?!?。被選為西歐各國總統(tǒng)和總理的人,還有很多官僚至今仍自負自己是世界的領(lǐng)導(dǎo)人,在經(jīng)濟、政治等所有意義上都處于優(yōu)勢地位。完全是過度自信。
但是,即使是這樣的西歐,意識到自己沒落的人也在逐漸增加。反過來說,在日本怎么樣呢。在亞洲最早推進現(xiàn)代化成為亞洲之雄的日本,難道沒有充分認(rèn)識到現(xiàn)在正在發(fā)生的亞洲和非洲的變化嗎?

脫亜入歐による近代化は、確かにアジアにおいて日本を西歐社會レベルに引き上げたという意味で大きな功績を殘した。近代化は「すべてを西歐化する」という極端な政策のもと進められたのだが、その反面、自らの立ち位置であったアジアにおける立場を捨てざるをえなくなった。
入歐以前にアジアを切り捨てることに奔走していったことが、アジアへの無謀な侵略と拡大につながったのだが、それを「大東亜共栄圏」というアジア主義として取り繕ったところに、日本の西歐コンプレックスとアジア蔑視のジレンマが見て取れる。
明治大學(xué)専任講師で、ハーバード大學(xué)に勤める眞嶋亜有氏による『「肌色」の憂鬱 近代日本の人種體験』(中公叢書、2014年)という本がある。これは內(nèi)村鑑三以來、留學(xué)を経験したエリート日本人の心の屈折と脫亜入歐精神との関係について書いた書物で、とても興味深い本だ。とくにその問題を、「肌の色」という脫卻しようもない運命から見た點できわめてユニークである。

脫亞入歐的近代化,確實在把亞洲的日本提高到西歐社會水平的意義上留下了很大的功績。近代化是在“全部西方化”的極端政策下推進的,但另一方面,不得不放棄自己在亞洲的立場。
在入歐之前,為了舍棄亞洲而奔走,導(dǎo)致了對亞洲的魯莽侵略和擴大,但在將其作為“大東亞共榮圈”的亞洲主義進行掩飾時,可以看出日本的西歐情結(jié)和蔑視亞洲的兩難境地。
明治大學(xué)專職講師,在哈佛大學(xué)工作的真島亞有先生的《“膚色”的憂郁,近代日本的人種體驗》這本書。這是一本關(guān)于內(nèi)村鑒三以來,經(jīng)歷過留學(xué)的精英日本人的心靈折射和脫亞入歐精神的關(guān)系的書,是一本非常有趣的書。特別是從“膚色”這一無法擺脫的命運來看,這個問題是極其獨特的。

■日本にある2つの世界
変な話だが、日本には2つの世界がある。1つは歐米という世界、もう1つはアジアという世界だ。前者は學(xué)ぶべき崇高な存在、後者は唾棄すべき野蠻な存在である。日本人離れした顔という言葉と、人間離れした顔という相対する言葉として2つの世界は存在する。
前者は美しいものをいい、それは西歐人に似ていることであり、後者はアジア人そのものである場合を意味する。こうした異常とも思える偏見を生み出したのが、脫亜入歐だったともいえる。とりわけそうしたコンプレックスを生み出した原因が留學(xué)した日本のエリートたちにあったという點が、日本社會を極めていびつにしているというのだ。

■日本的兩個世界
奇怪的是,日本有兩個世界。一個是歐美這個世界,另一個是亞洲這個世界。前者是值得學(xué)習(xí)的崇高存在,后者是令人唾棄的野蠻存在。有兩個世界,一個是遠離日本人的臉,另一個是遠離人類的臉。
前者是指美麗的東西,那是指與西歐人相似,后者是亞洲人本身的情況。產(chǎn)生這種異常偏見的可以說是脫亞入歐。特別是產(chǎn)生這種自卑感的原因在于留學(xué)的日本精英們,這一點使日本社會極其扭曲。

海外の大學(xué)を出ることは、日本のどの大學(xué)を出ることよりももてはやされ、英語などの西歐語ができるだけで尊敬される。それはとても不思議な現(xiàn)象だ。遠藤周作の作品に『白い人』『黃色い人』という作品がある。遠藤周作は、戦後すぐにフランスに留學(xué)し、黃色人種と白色人種の越えがたい壁を、身をもって體験した人物である。
多くの留學(xué)生は、日本を近代化させるために歐米へ向かったのだが、そこで待っていたのは黃色人種に対する差別だった。しかし、その差別について語ることはエリートとしての自分の誇りを否定することになる。だから帰國後、むしろ自分がいかに西歐で高く評価されたかを自慢げに語ることによって、そのトラウマを優(yōu)越感に転化させた。

畢業(yè)于海外大學(xué)比畢業(yè)于日本任何大學(xué)都受歡迎,只會英語等西歐語言就受到尊敬。這是一個很神奇的現(xiàn)象。遠藤周作的作品有《白色的人》、《黃色的人》。遠藤周作是戰(zhàn)后馬上到法國留學(xué),親身體驗過黃色人種和白色人種難以跨越的墻壁。
很多留學(xué)生為了使日本現(xiàn)代化而去了歐美,在那里等待他們的是對黃色人種的歧視。但是,談?wù)撨@種歧視會否定自己作為精英的驕傲。所以回國后,反而通過自夸自己在西歐得到了很高的評價,將其創(chuàng)傷轉(zhuǎn)化為優(yōu)越感。

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それによって、日本人のエリートは、あたかも西歐人のように扱われたのだという自負(翻ってアジア人への軽蔑)を持つことができた。しかしそれと同時に、その背後に筆舌しがたい差別のトラウマを心の奧底に刻み付け、それが日本人エリートの耐えられない劣等感を生み出しているというのだ。
「近代化」すなわち「西歐化」には、なるほど白色も黃色もない。しかし、それを?qū)Wぶ生身の人間は黃色い肌をもった人間である。日本人の肌の色、これはどうやっても白色になることはない。
中國人は、あえて西歐文明に同化することもなく、差別を受けながらも徹底して黃色い肌であることを押し通した。しかし日本人は黃色い肌を押し通すのではなく、自らを西歐人化しようと努めた。しかも同化を拒否した中國人のほうが勉強も語學(xué)もできたというのだから、彼らの怒りは歐米人に対してではなく同じ肌の色の中國人に向けられたというのだ。(前掲書)

因此,日本人的精英有著宛如西歐人一樣的自負(反過來說就是對亞洲人的輕視)。但是與此同時,在其背后卻深深地刻下了難以言喻的歧視創(chuàng)傷,這產(chǎn)生了日本精英無法忍受的自卑感。
“近代化”即“西歐化”,和白色和黃色無關(guān)。但是,去留學(xué)的人都是有著黃色皮膚的人。日本人的膚色,怎么也不會變成白色。
中國人并沒有刻意與西歐文明同化,而是在受到歧視的同時,始終保持著黃色的皮膚。但是,日本人并沒有堅持黃色的皮膚,而是努力將自己變成西歐人。然而拒絕同化的中國人,他們的學(xué)習(xí)和英語能力都比自己更好,自然引發(fā)了日本人的憤怒,可以說這個憤怒不是針對歐美人,而是針對同一膚色的中國人。

日本人エリートは、留學(xué)できない一般の日本人とは違ってある意味不幸であったともいえる。日本では、肌の色が黃色くてもぬくぬくと差別されないで西歐化を楽しむことができる。
一方、能天気な國內(nèi)の日本人に対して國を背負ったエリートは、海外では肌の色ゆえに差別され、拭いきれないトラウマを受けたのだ。そのトラウマの解消こそ「西歐で評価されたい」という願望と、「西歐への根拠のない憧れと依存癥」を生み出したのだ。
「洋行帰り」という言葉があるが、それは、たとえ海外での生活が屈辱であったとしても、帰國すれば優(yōu)越感に浸れるということを意味していた。確かに帰國するやいなや、日本でちやほやされるのでつい虛栄を張ってしまう。自國の文化を押し通すことが苦手な日本人は、中國人のように差別に耐えることができない。自分だけ特別視されるよう西歐に妥協(xié)していく。それが西歐崇拝と、根無し草の脫亜入歐をつくったともいえる。

可以說,日本精英與不能留學(xué)的普通日本人不同,在某種意義上是不幸的。在日本,即使膚色是黃色,也不會被歧視,也可以享受西歐化。
另一方面,在國外,對樂開朗的日本人背負國家重任的精英們因為膚色而受到歧視,受到了無法抹去的創(chuàng)傷。正是為了消除這種創(chuàng)傷,才產(chǎn)生了“希望在西歐得到好評”的愿望和“對西歐沒有根據(jù)的憧憬和依存癥”。
有句話叫“洋行歸來”,意思是即使在海外的生活是屈辱,回國后也會沉浸在優(yōu)越感中。確實剛一回國,就在日本被奉承,不知不覺就虛榮了。不擅長堅持本國文化的日本人,不能像中國人那樣忍受歧視。為了讓自己被特別看待,就向西歐妥協(xié)。這也可以說是導(dǎo)致了日本的的西歐崇拜和脫亞入歐。

島國日本は、ある意味天國である。國內(nèi)では西歐人との遭遇がないことで、西歐人からの差別のない無色透明の西歐化が自然に受け入れられる。一方海外で差別された生活を経験したエリートにとって、西歐化は屈辱を意味する。
だからこそ、彼らの多くがやがて徹底した國粋主義やアジア主義に流れることになる。

島國日本在某種意義上是天堂。由于在國內(nèi)沒有與西歐人遭遇的經(jīng)歷,所以自然能接受沒有來自西歐人的歧視的無色透明的西歐化。而另一方面,對于在海外經(jīng)歷過被歧視生活的精英來說,西歐化意味著屈辱。
正因為如此,他們中的很多人不久就會流向徹底的國粹主義和亞洲主義。

■西歐から「評価されている」という幻想
現(xiàn)在、アジアやアフリカといった地域の力が強まり、200年にわたって続いた西歐支配のレジームが変わりつつあるにもかかわらず、日本人が相も変わらずアジアを指導(dǎo)する雄であると考えているとしたら、それはかつてのアジア主義が陥った陥穽と変わるところはない。
近隣の韓國や中國を敵視し、西歐にべったりとくっつき、その西歐から見下されながらもそれをごまかし、西歐から評価されているのだという幻想に浸る――。日本は西歐並みであり、西歐化をいまだに普遍的真理だと考えている日本人は、愚かで孤獨なアジア人だともいえる。

■被西歐“好評”的幻想
現(xiàn)在,亞洲和非洲等地區(qū)的力量增強,持續(xù)了200年的西歐統(tǒng)治的體制正在變化,但如果日本人仍然認(rèn)為自己是領(lǐng)導(dǎo)亞洲的雄性,那與過去陷入亞洲主義的陷阱沒有什么不同。
敵視近鄰的韓國和中國,緊緊地貼在西歐上,雖然被西歐看不起,但卻掩飾了這一點,沉浸在被西歐好評的幻想中。日本和西歐一樣,至今仍認(rèn)為西歐化是普遍真理的日本人,可以說是愚蠢而孤獨的亞洲人。