「日本は人口減少と負債増加が同時に起こっており、今適切な対処をしなければ、日本の存在自體が危ぶまれるかもしれない」と、世界三大投資家のひとり、ジム?ロジャーズ氏は警鐘を鳴らします。同氏の最新著書『「日銀」が日本を滅ぼす』より、危機の正體を解説します。

“日本正面臨人口減少和負債增加同時發(fā)生的局面,如果現(xiàn)在不采取適當(dāng)?shù)膶Σ?,日本的存在本身可能會受到威脅。”世界三大投資家之一的吉姆·羅杰斯在他的最新著作《“日本央行”會毀掉日本》中發(fā)出了這樣的警告,書中詳細解讀了危機的真相。

長期にわたる低金利政策は世界的に見ても“異?!?br /> 日本の低金利政策の影響について考えたい。金利が正しくないというのは、歴史上よくあることだ。しかし、日銀の金融政策が間違っていたのは、長期間にわたって続けてきた點である。
日本のように、低金利政策が35年近くもの長年にわたって続くという狀況は、世界的に見てもこれまでに例がなく、間違いなく“異?!堡薁顩r、政策だと斷言できる。
言い方を変えると日銀は、他國の中央銀行とは異なるアプローチを取ってきたのである。災(zāi)害後など特別な狀況に、短期的に低金利政策を?qū)g施し、良い結(jié)果をもたらすことはある。しかし、長期的な低金利政策が繁栄と成功につながった例を、私は知らない。
さらに問題なのは、あまりに長い期間、低金利政策を続けてきたため、今の若い日本人の多くは低金利がふつう、當(dāng)たり前だと捉えていることだ。大きな間違いであるにもかかわらず、である。

長期實行低利率政策在全球范圍內(nèi)都是“異?!钡?。
我想探討一下日本低利率政策的影響。歷史上,利率不合理的情況并不少見。然而,日本央行的金融政策之所以被認(rèn)為是錯誤的,是因為這種低利率政策持續(xù)了很長時間。像日本這樣,低利率政策持續(xù)了將近35年之久,這在全球范圍內(nèi)都是前所未有的,可以毫不猶豫地稱之為“異常”的情況和政策。
換句話說,日本央行采用了與其他國家央行不同的方法。在災(zāi)害后等特殊情況下,短期實施低利率政策可能會帶來良好的結(jié)果。然而,我不知道任何長期低利率政策能夠帶來繁榮和成功的例子。
更為嚴(yán)重的問題是,由于低利率政策持續(xù)時間過長,許多年輕的日本人認(rèn)為低利率是正常的,理所當(dāng)然的。這是一個很大的錯誤,盡管如此,人們卻習(xí)以為常。

原創(chuàng)翻譯:龍騰網(wǎng) http://top-shui.cn 轉(zhuǎn)載請注明出處


ぜひとも日本の今の若い人たちには、歴史を勉強してもらいたい。日本國內(nèi)の狀況だけに目を向けるのではなく、経済史や世界史を読めば、35年もの間続いた低金利政策が、ふつうではなかった、というより明らかに“異?!堡扦ⅳ毪长趣藲荬扭椁馈?br />
我強烈希望日本的年輕人能夠?qū)W習(xí)歷史。不僅要關(guān)注日本國內(nèi)的情況,還要閱讀經(jīng)濟史和世界史,因為這樣他們會意識到,持續(xù)了35年的低利率政策并不正常,更準(zhǔn)確地說是明顯的“異?!?。

人口減少と負債増加が同時に起こるのは致命的
長期的なゼロ金利政策は、特に人口減少と負債増加という悪影響を及ぼす。そして今の日本ではこれらの悪影響を相殺するほどの繁栄は見られない。何かが変わらない限り、狀況はさらに悪化する可能性があるだろう。

人口減少和負債增加同時發(fā)生是非常致命的。
長期的零利率政策尤其會帶來人口減少和負債增加這兩大負面影響。而目前的日本并沒有展現(xiàn)出足夠的繁榮來抵消這些負面影響。如果沒有什么改變,情況可能會進一步惡化。

さらに日本は巨額の財政赤字を抱えている。この赤字を、誰が返すのか。こちらも各種社會保障と同じく、現(xiàn)役世代の労働者だ。つまり人口減少、特にお金を生み出す生産年齢が減っていることに加え、負債は増え続けている。この2つが同時に起きている日本は、致命的としか言いようがない。
また、いくら海外からの投資を呼び込んだとしても、それを活用する人材がいなければ長続きしない。このように日本は非常に深刻な問題を抱えており、適切に対処しなければ、40年後、50年後には日本の存在自體が危ぶまれると私は危懼している。

日本正面臨巨額財政赤字的問題,這筆赤字由誰來償還呢?和各種社會保障一樣,還是要靠現(xiàn)役世代的勞動者來承擔(dān)。也就是說,人口減少,特別是能夠創(chuàng)造財富的勞動年齡人口在減少的同時,債務(wù)卻在不斷增加。這兩者同時發(fā)生,對日本來說無疑是致命的。此外,即使能夠吸引到來自海外的投資,如果沒有相應(yīng)的人才來利用這些投資,也難以持久。由此可見,日本面臨著非常嚴(yán)重的問題,如果不妥善應(yīng)對,40年、50年后日本的存在本身可能都會受到威脅,我對此深感憂慮。

英國病とまで言われたイギリス
このように國が衰退していく狀況も、歴史を?qū)Wべばわかる。ポンドが急落したイギリスの事例だ。イギリスは産業(yè)革命を最初に達成した國であり、かつては世界の工場と言われ大繁栄した。
だが、第2次世界大戦後の1960~1970年代にかけて、長きにわたり経済が停滯。フランス、ドイツ、そして日本と次々と他國に抜かれていき、そのような狀況を揶揄してヨーロッパからは「英國病」とまで言われた。
工業(yè)生産力の減退、輸出の減少、國民の勤労意識の低下、慢性的なインフレ、階級制度、保守的な教育、労働組合のスト頻発など、経済停滯の要因はいろいろと議論され、どれも関係していたと思われる。
中でも私が注目している、日本の狀況と似ていると思うのが、労働者が不足しているにもかかわらず、ゆりかごから墓場までと言われるほどの、高度な社會保障制度が整備されていた點だ。
當(dāng)時のイギリスは石炭や電気、ガス、鉄道や運輸、自動車といった基幹産業(yè)を國有化することで産業(yè)を保護しようとの政策を行った。ところが、國有化したことで企業(yè)は経営努力を怠るようになってしまう。
設(shè)備投資を積極的に行わなくなり、他の企業(yè)と競爭することもなくなった。結(jié)果、イギリスの工業(yè)製品の品質(zhì)や魅力は低下していき、國際的競爭力を失い、貿(mào)易収支は悪化していった。
加えて、國民全員が健康保険に加入し、全員が無料で醫(yī)療サービスを受けることのできる、社會福祉政策ならびに制度の整備を進めていた。

被稱為“英國病”的英國
通過學(xué)習(xí)歷史,我們可以了解一個國家如何走向衰退。以英鎊急劇貶值的英國為例。英國是最早完成工業(yè)革命的國家,曾被譽為“世界工廠”,繁榮一時。然而,在二戰(zhàn)后的1960至1970年代,英國經(jīng)濟長期停滯,被法國、德國以及日本等國家相繼超越,甚至被歐洲揶揄為“英國病”。
工業(yè)生產(chǎn)力下降、出口減少、國民工作意識低下、持續(xù)的通貨膨脹、階級制度、保守的教育、頻繁的工會罷工等都是經(jīng)濟停滯的原因,各種因素相互關(guān)聯(lián)。其中,我注意到一點與日本的情況相似,即盡管勞動力短缺,但英國卻建立了從搖籃到墳?zāi)沟母叨壬鐣U现贫取?br /> 當(dāng)時的英國通過將煤炭、電力、天然氣、鐵路、運輸和汽車等基礎(chǔ)產(chǎn)業(yè)國有化來保護產(chǎn)業(yè)。然而,國有化導(dǎo)致企業(yè)缺乏經(jīng)營動力,不再積極進行設(shè)備投資,也失去了與其他企業(yè)競爭的動力。結(jié)果,英國工業(yè)產(chǎn)品的質(zhì)量和吸引力下降,失去了國際競爭力,貿(mào)易收支惡化。
此外,英國推進了社會福利政策和制度建設(shè),所有國民都加入了健康保險,并可以免費享受醫(yī)療服務(wù)。

先の日本の社會保障制度でも述べたように、このような制度を維持するには、膨大な資金が必要だ。ところがイギリスは、第2次世界大戦のときに行った膨大な支出による財政狀況の悪化から回復(fù)しておらず、イギリス政府にはそのような制度を推し進める資金が足りなかった。
ついにイギリスは1976年、國際金融の安定化や各國中央銀行の取りまとめなどを行うIMF(International Monetary Fund/國際通貨基金)から、融資を受ける事態(tài)にまで追い込まれる。

正如之前提到的日本社會保障制度,為維持這樣的制度需要龐大的資金。然而,英國在第二次世界大戰(zhàn)期間進行了大量支出,導(dǎo)致財政狀況惡化,并未從中恢復(fù)過來,因此英國政府缺乏推進這種制度的資金。最終在1976年,英國被迫向負責(zé)國際金融穩(wěn)定和協(xié)調(diào)各國中央銀行的國際貨幣基金組織(IMF)尋求貸款。

イギリスが復(fù)活できて、日本にできない理由
ただイギリスは、そのまま沈沒することはなかった。1979年に首相に就任したマーガレット?サッチャーが、政策を転換?!感·丹收工驋鳏?、國営企業(yè)を民営化するなどして歳出を削減。さらには、北海油田の開発を進めるなどして復(fù)活を遂げていく。
北海油田とはイギリス、ドイツ、ノルウェーなどの國に囲まれた、ヨーロッパ大陸の北、スカンジナビア半島の西あたりに位置する北海と呼ばれる海の海底に點在する、大規(guī)模な海底油田である。
発見されたのは1960年?,F(xiàn)在では周辺の多くの國が開発に攜わっているが、最初に乗り出したのが、イギリスだった。そうしてイギリスは、石油の自給と輸出という事業(yè)を手に入れることになったのである。
だが日本には、イギリスにとっての救世主であった世界最大の油田を発見するようなことは起こりそうにない。北海油田の発見ならびに開発は、寶くじに當(dāng)たるようなものであり、奇跡的な出來事だからだ。
さらに言えば、仮に北海油田のような寶くじを日本が當(dāng)てたとしても、1度や2度では現(xiàn)在の狀況を根本的に改善することは難しいだろう。日本が現(xiàn)狀抱えている課題、日銀が35年近くにわたり行ってきた金融緩和政策は、それほどの大きな負債を、日本に背負わせたと私は考えている。

英國能夠復(fù)蘇,而日本卻難以實現(xiàn)的原因
然而,英國并沒有就此沉淪。1979年,瑪格麗特·撒切爾就任首相后,開始轉(zhuǎn)變政策。她主張“小政府”,通過將國營企業(yè)私有化等措施來削減開支。此外,英國還推進了北海油田的開發(fā),從而實現(xiàn)了復(fù)蘇。
北海油田位于歐洲大陸北部,斯堪的納維亞半島西側(cè)的北海海底,周圍被英國、德國、挪威等國環(huán)繞。該油田于1960年被發(fā)現(xiàn)。如今,周邊多個國家都參與了開發(fā),但最早啟動開發(fā)的是英國。由此,英國獲得了石油自給和出口的業(yè)務(wù)。
然而,日本不太可能遇到像英國那樣發(fā)現(xiàn)世界最大油田的機會。北海油田的發(fā)現(xiàn)與開發(fā),如同中了彩票,是一種奇跡般的事件。更何況,即便日本中了像北海油田這樣的“彩票”,要從根本上改善當(dāng)前局勢也非一兩次所能解決。我認(rèn)為,日本目前面臨的挑戰(zhàn),以及日本央行近35年來實施的金融寬松政策,已經(jīng)給日本帶來了巨大的負擔(dān)。